大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和49年(あ)1180号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

一弁護人大槻龍馬の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

二しかし、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決は刑訴法四一一条一号、三号により破棄を免れない。その理由は次のとおりである。

1  記録によれば、本件は、国立和歌山大学教育学部付属中学校におけるいわゆる不正入学問題に端を発し、これが同校幹部教員らに対する枉法収賄被疑事件として捜査の対象とされる過程において、いわば付随的に発覚をみた事案であつて、本件公訴事実の要旨は、被告人は、昭和四一年三月上旬ころから同四三年三月下旬ころにかけて、和歌山大学教育学部付属中学校教諭としての学習指導等の職務に関し、生徒の父兄九名から前後一二回にわたり、贈答用小切手一二通額面合計一二万円の賄賂を収受したというものである。

第一審は、うち三回の収受の点につき有罪、九回の収受の点につき無罪を言い渡し、右有罪部分について被告人から控訴がなされたのに対し、原審は、収受の日時について一部認定を是正したうえ、右控訴を棄却して第一審判決の結論を維持したものである。

2  ところで、原判決が是認した第一審判決の罪となるべき事実第一の要旨は、被告人が昭和四一年四月下旬ころ、新規にその学級を担任することとなつた田中麻子の母末子から、右麻子の学習等につき好意ある指導を受けたいとして、その謝礼として額面五〇〇〇円の贈答用小切手一通の供与を受けたというのであるところ、右供与の趣旨については、第一審判決の証拠に掲げられた田中末子の検察官に対する供述調書によれば、「浦先生にこれからお世話になりますというお願いのしるし」「一年間麻子が学校で御世話になりますからよろしくお願いしますと云つてそのお礼に差上げた」ものであるといい、また、同じく証拠に掲げられた被告人の検察官に対する供述調書によれば、「私が田中麻子さんを担任する様になつたので世話になるという事で担任の礼としてくれたもの」だというのである。したがつて、同人等の右の各供述中これらの部分だけをとらえるならば、右小切手の授受が賄賂罪にあたるものとした第一、二審の判断は、一応首肯しえないものではない。

しかしながら、さらに記録によれば、右末子は、第一審公判においては、「私の長女が学校に入つた時、担任が代ると皆手土産を持つてあいさつに行くと聞いていましたので、私も長女の時から名刺代りにと思つて持つて行つたのです」「どうして欲しい、こうして欲しいということではなしにただ姉の時分から行かせて貰つていたので行つたのです」と供述したほか、その前記供述調書において、被告人の前任の学級担任者に対してもその学年初めの時期に五〇〇〇円の小切手を贈つたほか、被告人を含む関係教員に対し中元歳暮の贈答を欠かさなかつた旨述べているのであり、右供述部分についてもその信用性を疑うべき特段のいわれはないのであるから、本件供与の具体的な趣旨については、特に右末子の供述の全体を総合してその真意を把握したうえ判断されなければならないところである。

そこで右小切手の授受についてみると、それが供与されたのは、被告人が新規に右麻子の学級担任になつた直後の時期においてであるところ、右末子は、麻子の場合ばかりでなく、かねてから子女の教員に対しては季節の贈答や学年初めの挨拶を慣行としていたものであつて、これらの贈答に関しては、儀礼的挨拶の限度を超えて、教育指導につき他の生徒に対するより以上の特段の配慮、便益を期待する意図があつたとの疑惑を抱かせる特段の事情も認められないのであるから、本件小切手の供与についても、被告人が新しく学級担任の地位についたことから父兄からの慣行的社交儀礼として行われたものではないかとも考えられる余地が十分存するのであつて、右供与をもつて直ちに被告人が学級担任の教諭として行うべき教育指導の職務行為そのものに関する対価的給付であると断ずるには、記録上窺知することのできる被告人に対する他の父兄からの贈答状況、金額、被告人以外の教員の場合における同種事情、被告人が無罪とされた他の九個の事実との対比等の諸事情一切を総合考慮するときは、なお合理的な疑が存するものといわなければならないのでる。

3  次に、同じく罪となるべき事実の第二及び第三の要易は、被告人が、昭和四三年三月下旬ころ、それまで二年間にわたつて学級担任として教育指導を担当してきた竹本訓一の母政子及び竹田純久の父実から、教育上好意ある指導を受けたことの謝礼として、それぞれ額面一〇〇〇〇円の贈答用小切手の供与を受けたというものであるところ、右二件における供与の趣旨に関しては、第一審判決の掲げる証拠によれば、まず右政子は第一審公判において、「担任以上にお世話いただいてるのでほんの気持だけ」と述べ、この点被告人は、検察官に対する供述調書において、「卒業するに当り在学中世話になつた事と特に進路指導について世話になるということでそのお礼」であると供述しており、また、右実は第一審公判において、「子供が大事な時に二年も担任して貰い、課外にも世話になつているので、卒業の喜びと共に、そんな事位せんといかん」という気持である旨述べ、被告人は検察官に対する供述調書において、「卒業するに当つて担任の私に採業や進学の指導について世話になつたという事と竹田のお父さんが(中略)いい家庭教師を付けて貰う様に頼みに行くから一緒に行つてくれと云われ私も竹田さんと宮井校長の自宅に伺い(中略)、そう云つたことで金額が多かつたのではないか」と述べている。これによれば、右二件の供与について、それまで二年間にわたる被告人の職務上の教育指導に対する報酬の趣旨が含まれているものと一応推認されなくはないこと、前記2の場合におけると同様である。

しかしながら、さらに進んで記録にあらわれている具体的な事実関係を見るに、右訓一、純久両名に対する被告人の教育指導の概要は、原判示によれば次のとおりである。すなわち、右訓一については、同人が二年生の昭和四二年一月ころ右政子から依頼されて、当時訓一が指導を受けていた勉強塾の教師に会つて塾での学習方法について話したり、同年の寒夜一〇時ころ宿直中に訪ねて来た訓一に約一時間半にわたり数学の問題の解法を指導したり、同年五月ころ家庭教師を紹介するとともに訓一方を訪れて学習の方法について話し合い、その年の夏休みには訓一を呼んで特別指導をし、昭和四三年一月頃には訓一方を訪れて全教科のまとめ方を指導するなどし、また右純久に関しては、同人が学業成績は優秀であるが性格面に弱さのあることを案じ、昭和四二年二月及び七月にその自宅を訪ねて学習上の指導を与え、その後兵庫県下の私立高校を志望するか、和歌山市内の県立高校を志望するかについて右純久及び父兄から相談を受けて志望校選定について助言し、昭和四三年二月ころにも自宅を訪ねて指導し、高校合格後も、父親の要望で父親とともに当該高校長を訪ねて、英語、数学の家庭教師の斡旋方を依頼するなど熱心に勤務時間外の指導を行つたということであり、被告人の右両名に対する学習面、生活面での指導は、右訓一に対しては「ことに受験に当つての教科指導及び最終的な志望高校選定について」、また右純久に対しては「ことに勤務時間外に志望校の選定、学習等に」おいて格段のものがあつたからこそ、右供与が行われたとするのが原判決の認定である。

このように、原判示自体からも明らかなとおり、被告人は、父兄らの特別な依頼又は要望に応えて本来の学習指導時間外の深夜の宿直時間や私生活上の時間を割いて、学習指導をしたり、生徒の自宅を訪問し、生徒の家庭教師と指導方針を打ち合わせる等してまで、学習面生活面の指導訓育に熱心な努力を傾けたものであることが認められる。

思うに、原判決が指摘する前記学習指導の内容それ自体は、学校教員としての当然の職務に属するものであり(学校教育法二八条四項参照)、また、教育の目的はあらゆる機会にあらゆる場所において実現されなければならないものであつて(教育基本法二条参照)、学校教員の地位にある者が児童生徒に対して行う教育指導には、その性質上、必ずしも公私の別を明確一律に弁じがたい微妙なものの存することは否定しがたいし、かつ、学校教員にあつては、その重要な社会的使命を自覚するならば、みだりに父兄等からの度重なる金品の贈与に慣れて廉潔心が鈍麻し、人の師表として世の指弾を浴びることのないよう、厳に自ら慎しむべきであることは、その職業倫理からしても当然であろう。

しかし、そうであるからといつて、本件におけるように、被告人の教育指導が父兄からの特別の依頼要望にこたえて私生活上の時間を割き法令上の義務的時間の枠をはるかに超え、かつ、その内容の実質も学校教員に対して寄せられる社会一般の通常の期待以上のものがあつたのではないかとも考えられる場合、右教育指導が、教諭としての職務に基づく公的な面を離れ、児童生徒に対するいわば私的な人間的情愛と教育に対する格別の情愛と教育に対する格別の熱情の発露の結果であるともみられるとするならば、かかる極めて特殊な場合についてまで右教育指導を被告人の当然の職務行為であると速断することは、教育公務員の地位身分とその本来の職務行為とを混同し、形式的な法解釈にとらわれて具体的事実の評価を誤まるものではないかとの疑念を抱かせるものがあることもまた否むことができない。

ひるがえつて右政子及び実の側について見れば、卒業時における教員への謝恩的贈答は、形式こそ本件の場合と異なる、一般的に見受けられる公知の慣習的儀礼として承認されているものであるところ、右政子及び実の両名とも、被告人のみならず関係の教員に対しては従来から中元、歳暮の儀礼的贈答を慣行としてきたという事情があるのに加え、右判示のように、いわば私的に特別の指導に浴した生徒の父兄として、右両名が第一審公判廷において縷々訴えるように、被告人の生徒への情愛と教育に対する熱意、人柄に対しておのずからの敬慕と感謝の念を抱くことは人情の自然であるとして理解できるところであつて、この経緯に徴すれば、特に被告人に対して右儀礼を厚くすべき格別の動機を有していたものと認めるにかたくないところである。

以上説示の諸事情に加え、その他記録上窺知できる諸般の事情をも総合して本件事実関係を見れば、第一審判決が掲げる証拠及び記録によつても、前記二件の供与をもつて、被告人の教諭としての公的職務に関し、これに対してなされたものであると断定するには、なお合理的な疑いの存することを払拭することができず、右二件の供与は、被告人の職務行為を離れた、むしろ私的な学習上生活上の指導に対する感謝の趣旨と、被告人に対する敬慕の念に発する儀礼の趣旨に出たものではないかと思われる余地があると言わなくてはならない。

三結局、原判決は、以上二の2、3に説示した疑問点を解消すべき事情について審理することなく、たやすく第一審判決の賄賂性の認定を是認したものであつて、原判決には、右の点について審理を尽さずひいては重大な事実を誤認した違法の疑いがあるといわなければならず、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

よつて、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、右疑問点につきさらに審理を尽す必要があると認められるので同法四一三条本文により本件を原審である大阪高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見によつて、主文のとおり判決する。

(岸盛一 藤林益三 下田武三 岸上康夫 団藤重光)

弁護人大槻竜馬の上告趣意〈省略〉

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